2013年2月22日金曜日

社会の多様性


井上様
コメントありがとうございます.

本物の農家の方にコメントいただいて光栄です.


農山漁村ではどんどん人口が流出して,廃村も増えています.このままでは,日本と言う国は都会しか無い国になってしまうのかと危惧しています.私は,日本の農山魚村に人がいて暮らしているという事実,これは実は我々都会人にとっても大きな財産であると考えます.山に人が暮らして管理いるからこそ,災害は抑えられているわけです.また私は,「社会の多様性=豊かさ」 と考えていますので,その意味でも日本に「多様な」暮らし方があるというのは,社会全体にとってのかけがえのない財産ではないでしょうか.しかし中には都会のお金が田舎に使われるのが我慢ならない!と言った人がいて悲しくなります.あなたが今食べている肉は野菜はどこから来たのか,透かしは考えたらどうなのでしょうか?

ですから,私はもっと都会から農村へお金を還流させるべきだと思います.それは決して施しでは無くて,農村を守ることは都会の,日本社会の豊かさを守るための必要コストだからで,電気代や水道代とまったく同じ性質の「公共料金」です.田舎があるから都会が存在できる,都会があるから田舎がある.両者は共依存の関係であって,決して片方を切り離せないのです.

今までも田舎にお金は使われてきましたが,何故か田舎を都会化する,社会の多様性をなくす方向に主に使われているのが残念なところです.

貧しいことに価値を置く.清貧と言う言葉もありますし,価値観としては素晴らしいと思うのですが,貧しい田舎v.s.豊かな都会という構図が固定化してしまうと,今の途上国と先進国のような従属関係が出来てしまい危険ではないでしょうか?貧しいけど豊かという価値観を選んだ本人はよいですが,子や孫の世代のことを考えると,住む場所による経済的格差の固定化は良くないと思います.明治時代の女工哀史のような悲劇は,もう繰り返してはいけません.

理想は,人がその価値観に応じて,自由に都会に暮らすか,田舎で暮らすかを選択できる社会だと思います.それこそが,「社会の多様性=豊かさ」の実現です.

はたしてこれは,実現しない共産主義的なユートピアでしょうか?


※この記事は2月15日の記事「狩猟と自然と」へのコメントに対する返信として書きましたが,本記事としてアップしました.


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