2013年1月3日木曜日

定住と非定住と


 年始,大阪でのホームレスの人のための越冬闘争に参加した.そこで支援者の方の一人が話していたことが非常に考えさせられるものであった.「日本には,定住していることが普通であり善であって,ホームレスなどの非定住者は異常であり悪であるという暗黙の了解が存在している.野宿者の支援というと,野宿者が定住者へ戻ることの支援を意味していることが多いが,そうではなく堂々と野宿者であると言える社会.非定住という選択肢が許される社会をつくるような運動をしていかなければならない.」
 
現在,非定住という選択肢が無い日本社会ではあるが,過去には非定住の人々が存在していた.所謂サンカと呼ばれる人々や,木地屋,マタギなどの人々である.木地屋いうのは,山中の木を切って椀等を作る人々で,江戸時代までは山の7合目以上は木地屋の領域とされ,自由に木を伐採することが許されていたという.もう奥には村が無いような山奥の沢で,上流から椀が流れてきたという話は日本各地に存在している(遠野物語のマヨイガの話も確か椀が流れてくる記述があったような(自信無し)).東北のマタギは,一応村に定住しているものの,山中の道を獣を追って中部地方や近畿地方まで足を延ばしていたというから,一年の大半は野宿をしていたと考えられ,定住者というよりは半定住者と言えよう.紀伊山地の北山地方では,戦前まで,サンカの人々が河原に小屋掛けして川魚漁をしている姿が村人に目撃されている.

 結局彼らも,明治維新後の社会の変化によって,非定住者から定住者へと変わっていったのだが,不勉強な私にはなぜそうなったのか答えを得ることは難しい.「中央政府からの圧力」なのかそれとも,「非定住者が定住することが許されるようになった」からなのか?そもそも非定住者は「定住が許されない者」だったのか単なる「定住しない者」だったのか?

 さて,野宿者の問題に立ち返ってみると,彼らは経済的な理由から「定住が許されない者」であると思われているが,内実はそうも単純ではなく,かなりの数の「定住できるだけの経済的余裕がありながらあえて非定住を選択している人」が存在しているという.そうなると,ビッグイシューのような「経済的自立をさせて社会復帰!」みたいな野宿者支援というのは,かなり的外れなものだと言える.彼らは可哀そうな困窮者ではなく,非定住という幸福を追求する権利を求めるマイノリティーなのだ.彼らに定住支援をすることは,同性愛者に対して異性愛に戻る支援をすることとまったく同一にナンセンスなものであると言えるだろう.

全然畜産と関係ないことを書いてしまったので,最後に少し考えたことを.
公園に家畜小屋つくって,普段は地域の人々の癒しの場としてそれを提供し,野宿者に辛い冬が来たらそれの一部を食料として供給するような,そんなシステムを作れないだろうか?一石二鳥だと思うのだがどうでしょうね,橋下さん!

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